素敵な1冊でした。
『暇と退屈の倫理学』
ラッセルの幸福論から始まり、パスカルの退屈論、ユクスキュルの環世界、ハイデガーの退屈論からの結論となる。
「ナゼ人は退屈を感じるのか?」
人は退屈に耐えられず、気晴らしを求め、その中に幸福があると思い込む。
私は時折退屈を感じていたが、気付けば退屈が常態化していた。
何か面白い事が起きないかと日々期待しても、外発的な事は何も起こらない。
故に興味を広く持ち、自ら友好的に行動していた。これは無意識に楽しみを求めた結果だと思う。
読んでいて「私は暇を生きる術を知らない」のだと気付いた。
「退屈の反対は興奮」とあり、成程と得心した。興奮時は退屈せず、暇を感じる心の隙間も無く、熱中や没頭した状態か。
最近は少ないが、過去を振り返ると時々そんな事があった。ジムにどハマりしていた20代前半の頃だろうか。。。懐かしい。
文中に「消費社会と退屈の疎外論」とあったが、大変興味深い内容であった。
気になる方は読んで頂きたいが、簡単に言うと「消費社会は満たされなさという暇では無いが退屈さがある。私達は煽動されて、モノに支配されライフスタイルの奴隷と化している。消費と退屈のサイクルを回し、自分で自分を蝕む。」
世の資本主義の消費社会システムは、不必要なモデルチェンジを繰り返す。要らない物を要るかの如く宣伝し、物欲を錯覚させる。ナゼこんな物を買ったのか….?不思議でならない。
ハイデガーの退屈論は3つに分類されるが、コレまた面白い。
結局私は一番厄介な「何となく退屈だ」に陥っているようだ。暇では無いが退屈している。
【結論】
退屈とは、、、
「一定感情ではなく、何かの不快から逃げたい心的状態を指す。」
本を読みながら振り返る。
ああ、今日も退屈であった。